【上毛新聞掲載】社会科教育講座 青山雅史教授の自然災害伝承碑の研究成果が上毛新聞に掲載されました
【 投稿日:2024.09.09 】
社会科教育講座 青山雅史教授の自然災害伝承碑についての研究成果が上毛新聞に掲載されました。
(2024年8月30日7面掲載)
青山教授は自然災害伝承碑の調査を行っており、群馬県南部だけでも141基を確認しています。
(国土地理院の地理院地図に掲載されている県内の伝承碑は48基)
紙面には青山教授が調査・作成した群馬県南部地域の分布地図が掲載されており、さまざまな地域で災害が起きていたことが分かります。
青山教授は、災害の記録、地域の歴史や産業、暮らしていた人々の思いといったいろいろなものを総合的に知る契機として、災害碑に関心を持ち有効に活用して欲しいと呼びかけています。
◆柏木沢の養蚕碑(高崎市)
1887(明治20)年5月23日の降雹の被害を伝える。
激しい雹で桑や麦、野菜が大きな被害を受けたことが記されている。
桑の葉がなくなり蚕を飼うことができず、住民が泣く泣く蚕を埋めて慰霊するとともに、後世に伝えるため建立したとされる。

【 投稿日:2024.09.09 】
社会科教育講座 青山雅史教授の自然災害伝承碑についての研究成果が上毛新聞に掲載されました。
(2024年8月30日7面掲載)
青山教授は自然災害伝承碑の調査を行っており、群馬県南部だけでも141基を確認しています。
(国土地理院の地理院地図に掲載されている県内の伝承碑は48基)
紙面には青山教授が調査・作成した群馬県南部地域の分布地図が掲載されており、さまざまな地域で災害が起きていたことが分かります。
青山教授は、災害の記録、地域の歴史や産業、暮らしていた人々の思いといったいろいろなものを総合的に知る契機として、災害碑に関心を持ち有効に活用して欲しいと呼びかけています。
◆柏木沢の養蚕碑(高崎市)
1887(明治20)年5月23日の降雹の被害を伝える。
激しい雹で桑や麦、野菜が大きな被害を受けたことが記されている。
桑の葉がなくなり蚕を飼うことができず、住民が泣く泣く蚕を埋めて慰霊するとともに、後世に伝えるため建立したとされる。