早川由紀夫研究室 2000.6.29.0755設置 三宅島富士山浅間山磐梯山岩手山有珠山

早川由紀夫の三宅島ページ

災害救援と福祉
 
一時帰宅掲示板
日別降水量グラフ
 
災害対応研究会で発表(01.4.27)
三宅島2000-2001年ファクト
2000.8.31までの陥没量は13億トン
2000.8.29までの降灰量は1600万トン
 
三宅村の予知
村・共同体・島の崩壊,そしてNLP問題
三宅児童生徒数の時間変化
支援しないことこそが本当の支援
児童相談所へ通告(00.11.20)
 
manzaメーリングリスト
質問・意見をおよせください.
外部サイトへのリンク
 
過去にここに掲載していた見出し
トップ画面の更新記録

朝日ニュースターCSテレビ「説明責任」

テーマ 「三宅島火山噴火と防災対策」
出演: 自由民主党・党災害対策特委員長代理 岩井 國臣
     群馬大学・助教授 早川由紀夫
司会: 朝日新聞・論説委員 高橋真理子 
     朝日新聞・編集委員 早野 透
2000.9.09(土)2300-2400
2000.9.10(日)0700-0800(再放送)
2000.9.13(水)0300-0400(再放送)
収録は,9.07(木)1600-1700に銀座ソニービル二階でおこなわれました.

「1年,2年,3年.悪ければ10年.」

Windows Media | Real Player(2分39秒)

このページの記述内容に関する問い合わせはhayakawaスパムはいやだよ@edu.gunma-u.ac.jpへお気軽にどうぞ.ただし,すべてのお問い合わせに迅速に答えられるとは限りません.

2005

現地調査の記録

「小規模な噴火」リスト2005

2.01

避難指示解除。4年5ヶ月ぶり。

2005.1.19

阿古中学校に臨時役場開設。


2004

「小規模な噴火」リスト2004

11.30

0746小規模な噴火 火山観測情報668は、2002年11月24日以来と伝えた。

2004.4.13

3月28日噴火、カルデラ縁で微弱な降灰(気象庁)。


2003.10.30

10.28統一見解(火山噴火予知連絡会=気象庁),記者会見(さくまなう)

9.04

新聞社の不遜 「全島避難が三年を超えるなんて、誰も夢にも思っていなかった。 (東京新聞9.03)」 ひとつの新聞社がそのように思うことは自由だが,だからといってこの世の全員がそう思っていたと断定するのは誤りである.不遜な誤りである.この断定が誤りであることは,上を見ればすぐわかる.
 三宅島を出た今回の避難が3年に達する可能性が高いことは,そのとき,十分な知識によって確からしく予想された.予想されただけでなく,すみやかに情報伝達された.発信された情報がなぜ受け止められなかったか,その理由をいま考えなければならない.

7.28

3000年ぶりの噴火って本当だろうか? 今回の三宅島の噴火は3000年ぶり(あるいは2500年ぶり)だとみることが定説です.私自身もそのようにこれまで何度も言ってきました.しかし2週間前から私は,この見方を疑っています.3000年前に生じたカルデラが,津久井さんが言うように八丁平カルデラなら,今回の噴火はたしかに3000年ぶりですが,一色さんが言うように桑の木平カルデラなら,今回の噴火はおよそ500年ぶりだということになる.もしそうなら3000年前以降,三宅島は今回規模のカルデラ陥没を数回繰り返したのかもしれない.今回の噴火はたいしてめずらしい地学現象ではないことになる.
 3000年前に噴出した火山物質がどれであるかはたいへんよくわかっています.しかし,そのとき地表にできた火山地形がどれであるかは,上記2説あって,いまもってどちらであるかはっきりしません.

6.26 異常発生3周年

テレビ報道にみる三宅島2000年噴火危機 −火山専門家・行政官・ジャーナリストの発言,そして住民の声−

4.11

地方自治体と報道機関に支持されない2000年8月の気象庁対応 

3月11日に国民宿舎「レインボー桜島」で開かれた「火山防災情報ワークショップ in 桜島」で読まれた論文の内容がpdfで公開されています.たいへん興味深い論文ばかりですが,きょうは,まず目に付いた

 > 15:55-16:20
 > 林 豊(気象庁火山課)・山里 平(同)・新井伸夫(日本気象協会)
 > 火山情報の高度化に向けて−ユーザの視点による火山情報の問題点

についてだけ,コメントします.

49ページに,2000年8月の三宅島噴火の気象庁による防災対応について,地方自治体と報道機関にアンケートした結果がまとめられています(表6a,b).これをみると,私は,2000年8月三宅島噴火への気象庁による防災対応とその考え方に重大な誤りがあったことが立証されたと感じます.

・事後あるいは夜間のときは,混乱を避けるため,緊急火山情報を出さない.
・火山情報は,そのタイトルでなく内容で評価される.

当時こう強弁した気象庁の考え方は,地方自治体からも報道機関からも支持されないものであると,このアンケート結果は語っています.しかし本文中で,著者らは,そして気象庁は,みずからに誤りがあったとは認めていません.反省していない.

本文中で著者らが強調した質問Gは「(緊急火山情報を出さなかった)今回の処置は結果的によかった」かどうかを聞いています.この質問へ,(いまの)私は,もちろん「そう思う」と答えます.だって,誰も死ななかった結果をすでに得ているのですから.しかし結果を知る前は,とうてい賛成できない考え方でした.結果を知ったあとと,結果が出る前に確率的リスクによって意思決定しなければならないときとでは,答えが正反対になりうる.あのときは,まさしくそうだった.前段からの状況説明を含めて,「結果的によかった」かを聞いているこの質問Gは,特定の結果に導くことを明確に意図して置かれた質問だと評価できる.
(4.15文章推敲)

3.18

訃報 2000年噴火時,三宅島唯一の新聞店主だったさだぞうこと渡辺義宗さん(41)が,16日胃がんのため亡くなりました.ご冥福をお祈りします.通夜は本日18時から,葬儀は明日13時から,どちらも北海道函館市内で行われます.

2003.2.14

島には帰らないかもしれない
 赤木一之(2001年4月より品川区でビストロおきみくら)「(今後島に帰られることになったら,どうされますか?の質問に答えて)シーズンだけ三宅で営業するかもわかりませんし,こちらでひとり雇って,土日とか暇なときにこっちに私が来るとか」
 桧山洋子(2001年1月より大田区でビューティーサロン・イスラ)「こういう避難というかたちがなければ,都会に出てこれなかったと思うんですね.だから,こっちにきたときに,ある意味チャンスかなと思って」
東京サイト(テレビ朝日2.14.1650からの3分番組)での発言

 この番組のスポンサーは東京都である.月曜日から5日間連続で三宅島が放送された.きのう木曜日までの内容は,東京都がこれまで三宅島避難者に対して施してきたさまざまな対応策と,三宅の復興にかける意気込みを伝えるPR色が強かった.しかしきょうの内容は少し違った.全島避難から2年5ヶ月たったいま,島へはもう戻らないかもしれないと語る二人へのインタビューを,東京都スポンサーの番組が流したところに注目した.


2002.12.17

三宅村教育委員会の教育目標と基本方針

三宅村復興計画策定委員会答申(2002.12.12)に次のようにあります.

>  4 教育のこと
>   子どもは三宅島の将来を担う大事な「宝」である。しかし、秋川
> の小学校では三宅島の子どもだけの学級はなくなった.このままで
> は、中学校でも、三宅島の子どもだけの学級がなくなる可能性があ
> る。島外で暮らしていても、三宅島のことを誇りにし、三宅島の将
> 来を真剣に考える子どもたちが、一人でも多く帰島することに島の
> 将来はかかっている。そのため、「互いの人格を尊重し、思いやり
> と規範意識のある村民」、「全国の人々からの支援に対する感謝の心
> を持つとともに積極的に社会に貢献しようとする村民」、「常に前向
> きに考え、逆境の中にあっても自らの個性と想像力を伸長しようと
> する意欲を持つ村民」という『三宅村教育委員会の教育目標』及び
> 「人権尊重の精神」と「社会貢献の精神」の育成、「豊かな個性」
> と「想像力」の伸長、秋川での特性を活かした学校経営の推進と村
> 民の学習機会の確保といった『三宅村教育委員会の基本方針』を前
> 提に、教育施策を積極的に推進していく。」


「三宅島のことを誇りにし、三宅島の将来を真剣に考える子どもたちが、一人でも多く帰島することに島の将来はかかっている」とする現状認識は,まったく正しい.

しかし,それを実現するための努力を,上に掲げられた『三宅村教育委員会の教育目標』と『三宅村教育委員会の基本方針』の考えに基づいてなすのであれば,失敗することが火を見るより明らかである.

2000年夏以降,秋川でなにがなされたかを振り返ってみれば,わかる.たとえば,

  ・児童生徒に寮生活を強要して通学を認めなかった.
  ・(無料の)災害特設電話を職員室で使用して,児童生徒には(有料の)緑電話を使わせた.

どちらも,子どもたちのためになされたことだとは,いいがたい.

これらについて,教育委員会はみずからに非であったと認めていない.だから,これからも同じことが繰り返されるはずだ.

三宅村教育委員会の教育目標が,

  1)互いの人格を尊重し,思いやりと規範意識のある村民
  2)全国の人々からの支援に対する感謝の心を持つとともに積極的に社会に貢献しようとする村民
  3)常に前向きに考え,逆境の中にあっても自らの個性と想像力を伸長しようとする意欲を持つ村民

だと知ると,三宅村のいまの逆境がなぜ生じたか,わかるような気がする.

三宅村を復興したいのなら,協調性と現状肯定を目指したこの教育目標を,独創性と批判力を養うことを目的とした新しい教育目標にすっかり書き換える必要がある.そして,子どもたちを利用した復興計画ではなく,将来を担う子どもたちのための復興計画にする必要がある.

なお悔い改めるべきは教育委員会だけでない.避難当初,当面の利益を求めて集団で子捨てをおこなった親たちも同様である.

三宅村を復興したいのなら,その前に,教育委員会と親たちが一定のけじめをつけることが必要である.過去をうやむやにしたまま水に流すと,また同じ失敗を繰り返す.

10.07 

リンク消え(訂正) 東京都トップページから三宅島へのリンクは消えてないと,読者の方からご指摘をいただきました.たしかに右下にリンクボタンがありました.私の誤りでした.お詫びして訂正します.東京都トップページから三宅島へのリンクは,まだあります.

10.01

リンク消え きのう9.30をもって,気象庁トップページから三宅島へのリンクが消えました.東京都トップページから三宅島へのリンクが消えたのはいつだったかな?

9.14

批判は甘んじて受ける
この避難では,実はどこに何人収容するかなど詳細な計画ははかった.「とにかく危険地区から住民を避難させることを考えた」と,安危室の関審議官は言葉少なに語る.「そのために手厚い避難手段を用意した.もし無駄になっても,批判は甘んじて受けるつもりだった」.ヒト,モノを大胆に投入した強引なまでの総動員計画に,国の威信をかけた決意がのぞいた.(『2000年有珠山噴火』,北海道新聞社編,122ページ)
これは,有珠での事例です.この5ヶ月後,まったく正反対の「甘んじて受ける」があった.これ以上は考えられないくらいのお寒い避難手段しか提供されなかった.同じ国の中で,こういう違いがなぜ起きるのだろうか.まったく不思議だ.
井門課長:まあ,それはやっぱりそうなったちゃったらあれですね,東京都が甘んじて非難をうけるということだと思うんですよね.2000.8.30

7.01

2000年12月の発言 --すでに裏切られたことと,いま裏切られようとしていること

公団住宅からは,追い出すという.都営住宅の延長は,ほんとうに永遠に続くのだろうか?

6.28

違法出版 三宅村立小学校の現職教諭が4月に出版した本について,きのうの村議会で佐久間議員が質問しました.それに対して,浅沼教育長は次のように答えました.「服務規程違反である.信用失墜行為にも当たる.処分については東京都と協議している途中である.」ただし浅沼教育長は答弁の過程で,「ホントのことが書いてある」と,本音ものぞかせました.

5.22

三宅島に行って来ました 2000年6月の異常発生以来,ヘリコプターで上空までは行ったことがありましたが,初めて上陸してみてきました.三宅島2002年5月21日

5.15

合同大会で発表します 今月末,東京代々木で開かれる地球惑星科学関連学会2002年合同大会で,火山危機における情報規制とパニック神話を発表します.29日午後の セッション「地震予知:社会は何を望み我々は何ができるか?」の中で話します.昨年11.06今年1.15にここに書いた内容をもとにして再構成しました.

5.09

釣り 三宅村のページによると,4月28日から「在島者のレクリエーションとして、観光協会による「釣り」が始まった」という.これは,12月18日の村議会でのやりとり:
助役「日曜日の自由行動は,バードウオッチング・ジョギングは許されている.桟橋でのつりは現地災害対策本部と協議する」
谷議員「自由行動が許されていると,いま初めて聞きました」
の結果だと思われます(このページ12.20の記述参照).釣りは,器具を使用するから,ジョギングやバードウオッチングよりも明確なレクリエーション行為だと言えます.
 4.12に書いたように,郵便物の取り扱いも再開しているわけですから,三宅島帰島はいまや100%可能になったと判断できます.いや,より正確には,行政が住民を帰島させない処置を解除したと判断できると言うべきか.観光協会が事業を展開している島に住民が戻れないはずがない.自由意志により,まだ戻っていないにすぎない.

4.22

ほんとうに島に戻るつもりがあるのですか? 9日に帰宅した青山さんは,こう書いています.
> それぞれの作業を終え、着替えのタメに裸になり居間のソファーで寝転んで一服。
> 「おーい、テレビつけてよ!!」冗談で女房に呼びかけてみる。
> 避難前となんら違和感の無いこの感覚。
> (帰りの船が沈んでしまってこのまま東京に戻れなければいいのに、、、)
 行政がもし,その日は島を離れなくてよいと言ったら,ほんとうに島にとどまるのでしょうか?何日いてもよいと言ったら,ずっと島にとどまれるのでしょうか?できないだろうと,わたしはみます.島を離れなくてよいと言われたら,かえって当惑するのではありませんか.
 島外脱出から19ヶ月たったいまでもこのような感傷にひたっているのをみるのは,私にとって驚き以外のなにものでもありません.
 いま村民が島にとどまらないほんとうの理由は,行政がそう仕向けるからでは,ない.村民にその気がないからである.もしほんとうにいま島で生活したいなら,自己完結の滞島プランを作成して,それを公開して実行すればよい.荒唐無稽な計画でなければ,村も都もだれも,じゃますることが法的にできないだけでなく,現実にじゃましないだろう.
 島に戻って生活できますよと行政が言ってくれるのを待っているような受身でいるかぎり,島に戻ることはできない.みずからのちからで島に戻って生活を切り開いていくだけの計画性と実行力がないかぎり,島に戻ろうは,たんなる掛け声だけに終わる.聞いていて,聞き苦しい.(一時帰宅掲示板367)

4.12

帰島実現 郵便物の取り扱いが3月11日からすでに始まっていたことを知りました.4月1日から始まった定期的日帰り帰宅船もみれば,三宅島への帰島はすでに叶ったとみるのが妥当でしょう.ただ一般住民はまだひとりも島での生活を始めていないようです.島での小中学校の再開は,まだまだ先のことなのであろうか?その時期は,三宅島の意向をたずねることなく,ひとが自分の都合優先で決めようとしているようだ.

4.08

中学生もまもなくゼロに この4月1日に,三宅村から小学生がひとりもいなくなりました.3年後には中学生もいなくなると,私は1月9日に書きました.しかし,どうやら中学生がいなくなるのはもっと早くなるようです.秋川三宅学校在籍児童生徒数の時間変化に示したように,中学生はもう24人しかいません.3月に16人いた三宅島小学6年生のうち,三宅島中学に進学したのはわずか4人だった.さらに1年生12人のうち4人が,また2年生21人のうち9人が,転校して三宅島中学を去った.学校全体の生徒数24は,1年前の小学校児童数27より少ない.三宅村教育委員会は,来年度も中学校を維持するにはたいへん困難な状況に追い込まれた.

3.27

児童生徒を秋川へ隔離した判断は誤りだった 秋川に,高校生をふくむ児童生徒を集めた判断は適切でなかった.全員がふるさとの島を離れるよう強いられたのなら,児童生徒は保護者とともに暮らすべきだった.保護者から引き離して,子どもたちに寮生活をさせた大人の判断は誤りだった.
 高校生をふくむ児童生徒は,保護者の最寄りの学校にまず一時預かりされるべきだった.そのあと,もし三宅島民が集まって住みたいと思ってそれが実現したら,そこで初めて三宅の学校を再開するのがよかった.もし三宅島民が集まって住みたいと思わなかったり,そう希望しても実現できなかった場合は,一時預かりをそのまま転校に書き換えるのがよかった.
 無理に無理を重ねて子どもたちを寮に隔離したつけは大きい.この経験は,三宅の人たちの末代までたたるであろう.とくに親子の情愛に関して(いまは顕在化していないかもしれないが)子どもたちのこころの奥底に傷ができてしまった.その傷は,成長するにつれて深くなるだろう.
 これから起こる同様の災害で,今回の轍を踏んではならない.どんな事態になろうとも,子どもたちはつねに保護者と一緒に避難生活を送らなければならない.これを保証することは,子どもたちが教育を受ける権利を保証することに優先する.

3.08

NHKニュース3.05.2222へのコメント NHKが,3月5日の「ニュース10」の中で22:22から8分間に渡って放送した三宅島プログラム「なぜ高濃度 三宅島の火山ガス」の中に,たいへん気になる発言が含まれていることを,いま録画テープを入手して見て,気づきました.

 プログラム後半で,辻村和人記者(社会部)が次のように話しました.

1)「火山の専門家は,地下のマグマの中の火山ガスの成分は,現状で7割から8割はすでに放出されているとみている」

2)「火山噴火予知連絡会の井田喜明会長は,住民の帰島を検討できるレベルまで下がるのに一年程度はかかるのではないかという見方を示しています」

 1)へコメントします.「7割から8割」を言った火山専門家を私は知りません.ご存知の方は教えてください.このようなクリティカルな発言は,きちんと実名を出して引用すべきです.実名が出せないのなら,言及すべきでありません.まだ1割程度しか出ていないと解釈できる学説を公表している火山専門家なら,私は知っています.

 2)へコメントします.2月1日の予知連記者会見で井田会長がこれに関して語ったのは,次です.

だから別の言い方をすると、それを先の予測にまで言えるかどうかは難しくて、何かが変わってしまう可能性が非常にあるわけですけれども、いまだいたい1、2万トンあって、まあ数千トンくらいに下がってほしいってな感じのことを思うと、それは3分の1くらいは下がらなきゃいけなくて、まだ1年くらい、いまのままでいったとすると、まだ1年くらい経たないと数千トンとかいう、わりといろんなことを考える時点にならないかなと。(さくまなうから引用)

この発言を2)のように要約するのは,正確性をはなはだしく欠いています.1年たてば帰島を検討できるくらいの濃度まで下がると保証してしまっている.井田さんは,この結論を下す前に明確な条件句「いまのままでいったとすると」をつけている.辻村記者は,それを省略してしまった.条件句を省略する必要があったのなら,「早くて一年」と言うべきだった.

2.12

避難生活を続けるこどもたち 〜三宅村立小学校に学ぶ〜 という12ページからなるレポートがさくまなうにあります.2001年4月に,三宅村立小学校(秋川)に赴任した教諭が書いた.義援金・物資・労力・連れ出し企画のいずれかを問わず,「秋川」を援助したひとは全員がこれを読んで,自分が何に加担したのかをよく理解すべきだ.三宅の子どもたちのこころには,どうやっても消すことができない深い傷がついてしまった.その傷をつけたのは,援助したあなただ.(ここは三宅島1265)

現在の三宅島と三宅村に対する私の認識 村民が帰島してない理由は,生命の危険のためではない.生命の危険はいまたしかに島にあるが,それは,クリーンルームの設置などによって,すくなくとも島の一部では,回避できることになっている.現に,300から400人の作業員が島に夜間も滞在している.村民がまだだれひとり帰島していない理由は,いま帰島しても以前のような快適な生活をおくれないし生産活動にも大きな支障があることによる.
 なお三宅島からの避難は災害対策基本法63条ではなく60条によっておこなわれたから,村民がみずからの意思で島に帰ることが罰則をもって妨げられているわけではない.にもかかわらず,みずからの意思で強行帰宅したひとはまだひとりもいない.この事実も,島に帰るつよい意思を持っている村民がひとりもいないことを示している.(一時帰宅掲示板294)

1.22

青山副知事講演の全文テキスト(2002年1月11日,日本学術会議大講堂)がウェブで公開されています.

Yomiuri Weeklyが,このページの12.20記述を(暗示)引用しました.

1.20

伊豆大島差木地の地震

2000年8月25日に三宅支庁が村民に配ったビラ東京都のページにテキストとして今でも置いてある.「現状では,全島避難は考えておりません」と明記してある.下記1.15記述と比較検討すべし.
 真の危機のとき行政は本当のことを言わないものだという社会常識を形成すべきではない.そのためには,行政は真の危機のときにも,すべての情報を包み隠さず迅速に提供する努力をしなければならない.それにはコストがかかる.そのコストを惜しんではならない.

1.15

混乱を避けるため 青山副知事が,11日に日本学術会議大講堂で行った講演で次のように述べました:「結局は全島避難だとみんな考えていた.熾烈(しれつ)な議論をしていた.8月18日の噴火のあとは,日にちの問題だった.でも混乱を避けるため,全島避難だとわかっていても,テレビのインタビューでは「いや,まだ全島避難はしません」と私は逆に言いきっていた.」
 これは,11.06に私が指摘した2500年前の思想以外の何物でもない.いやそれよりはるかに始末が悪い.たんなるうそつきにすぎない.8月29日の火砕流で犠牲者が出なかったのが救いだ.

1.09

その後の三宅村立学校 昨年末をもって村立小学校から4人が転校しました.きのう8日,小学校は新学期を18人でスタートしました.3月には6年生16人が卒業しますから,4月から小学生は2人になることが決まっています.その2人にたいしても教育長がいま転校を働きかけていますから,4月の児童数は2ではなくゼロになるのが濃厚です.
 児童がゼロになっても村立小学校は存続させると教育長は12月の村議会で答弁しました.しかし教育長がいくらそう強弁しても,三宅村から小学校が実質的になくなることに変わりありません.児童がいない小学校は想像の産物でしかありません.現実に存在するものだとは言えない.島外避難から1年半で,小学校が三宅村から消滅します.→三宅村の予知(2000年10月)
 16人いる6年生のうち何人が村立中学校に進学するかはいまわかりませんが,何人かは進学するでしょう.その生徒たちが卒業するまでの時間は3年間.あと3年3ヶ月たてば,村立中学校は確実に消滅します.
 これだけ確実なことが迫っていてもなお三宅村のひとたちは,固まって住んで共同体を維持しようとはしない.「火山の活動は全体として低下途上にある」などというあいまいな情報にすがり続けている.
 島に「帰る」「帰りたい」の掛け声が公の場でよく聞かれるが,本心は三宅村を「やめる」「やめたい」のだろう.やめるやめないは当事者だけの問題だから,部外者がとやかく意見を言う筋合いではないが,「やめさせたい」ちからも働いているようでやっかいだ.

2002.1.02

情報公開にかかわる国土地理院と気象庁の意識落差 国土地理院は,測量法(昭24法律第188号)第27条第3項の規定に基づいて,全国の2万5000分の1地形図をオンラインで閲覧に供している.今後は,いま提供している2万5000分の1地形図を見やすく使いやすくするだけでなく,5万分の1地形図と20万分の1地勢図についてもオンライン閲覧をすすめるつもりだと,地図のインターネット(無料)公開にたいへん意欲的だ.
 一方,気象庁は,こと火山だけに限っても,監視業務によって得た結果をインターネットでみずから公開することに不熱心だ.報道機関にはファクス送信サービスする火山情報をウェブにおくことすらも,三宅島などの一部の火山を除いて, まだ実行していない.
 火山情報に書いた記述の根拠となる映像・画像の公開については,これをほとんどしていない.火山情報に書いた自分の文章が他者によって検証されることを嫌っているようにみえる.科学的だとはまったく呼べない態度だ.
 気象庁は,昨年(2001年)三宅島で数回あった降灰の画像情報を,10月16日の一例を除いて,インターネット公開しなかった.2001年11月から再開したという火映についても,証拠映像をまだインターネット公開していない. 火山監視で得た結果を直接公衆に迅速伝達する必要があるとは気象業務法に書いてないともし言うなら,わたしたち国民は,気象業務法を改正する手順にはいらなければならない.