三宅島-神津島2000年地変のわかりやすい解説
今回の三宅島-神津島の地変を,一般の方にわかりやすく整理すると,次のようになります.(ちばさん掲示板への書き込み1836に加筆しました)
- 26日夕刻,三宅島の真下からマグマが上昇してきた.マグマは,まわりより自分が軽いから上昇します.上昇の原動力は浮力なのです.
- まもなく地表というところ(〜2km)まで達したとき,自分がまわりよりもはや軽くないところに気づいたマグマは,そこから上昇することができなくなった.そして,やむをえず真横に広がることにして,進行方向を北西方向に選んだ.(地面をつくる岩の密度は,深さとほぼ比例します.深いところは重い.浅いところは軽い.)
- 真横に進んでいる途中でマグマは,27日午前,阿古沖の海底にちょっと悪さをした.しかし,自分自身が海底に噴出することはなかった.
- かなりの量のマグマがかなりの距離を移動したので,その移動した先の神津島で,1日に震度6弱の地震があった.
- 4日から,三宅島山頂直下で地震が起こり始めた.マグマの移動によって生じた地下のバランスの乱れを解消するためだった.
- 8日夕刻,その解消作業の先端がついに地表に達した.26日山頂直下に上昇してきたまま真横へ動くのを怠慢していたマグマがこのとき,雄山山頂を含む山体の一部を道連れにして,地下に用意された空間に向かって崩れ落ちていった.このときの地震は,それまでになかった特別の種類のものだった.横ゆれが激しかったと語る証言がある.
- 崩れ落ちた量は,ざっと計算して2億トン.1km×1km×(深さ)100mの大きさです.崩れた土砂のうち1万分の1が大気中に舞い上がり,西風に吹かれて三池に火山灰として降った.ビルの爆破処理のときに煙がもうもうと巻き上がるのと同じです.
- 地表付近から大量の物質が失われて地下に落ち込んだため,神津島にまた震度6弱の地震が起こった.(ただし,この因果関係をきちんと説明することは簡単ではない)
- 9日未明以降に何回か報告された(白い)噴煙は,新しくできた火口壁が崩れ落ちていることにともなうホコリの舞い上がりだった.
- 9日以降,雄山山頂直下の地震は,火口壁の崩落によって発生しているだろう地表付近をのぞいて,ほとんどなくなった.
8日夕刻に地下深いところに落ちていった物質の量は,26日に上昇してきたマグマの量とほぼ同じか,その数倍程度だろう(前回,前々回の噴火の分も今回の落下で帳消しにした可能性がある).
ということから,三宅島とその直下はいま,たいへんスッキリした状態だと思われます.便秘が解消したときのように.
もうとうぶん(〜20年),三宅島は噴火しないでしょう.
ただし,他の火山の噴火への警戒と,地震への警戒は必要です.
三宅島-神津島2000年ファクト
- 6.26.夕刻 三宅島で地震多発
- 6.27.午前 阿古沖で変色水
- 7.01.1601 神津島近海M6.4.神津島で震度6弱
- 7.08.1841 三宅島山頂噴火.火山灰放出V0.3.山頂火口拡大.雄山陥没.
- 7.09.0357 神津島近海M6.0.神津島で震度6弱
以下は,ジャーナリストと火山専門家向けです.
雄山陥没と同様の事件は,1986年11月伊豆大島噴火の一年後の1987年11月18日早朝に起きた三原山縦穴火口陥没をあげることができます.そのときは,縦穴火口内に一年間滞留した1500万トンのマグマが地下に戻っていきました.ただし戻っていったのは一年前のマグマだけで,三原山の一部が陥没するという現象は起こりませんでした.出現した縦穴火口は,1986年噴火前のそれとそっくりだった.
世界に目を移すと,1968年6月にガラパゴスのフェルナンディア島で起こった山頂カルデラ床の陥没を思い出します.このときは,約30億トンの岩石が陥没しました.今回の三宅島の15倍です.カルデラ床に新しい溶岩は現れませんでした.陥没の前の月,5月に山腹に流れた溶岩と,6月11日から12日にかけての降下火山灰を全部足しても,陥没量の1/10程度らしい.つまりカルデラ床が,地下に用意された(仮想)空間に落ち込んだ,すなわち新しくできたへこんだ空間は爆発飛散して生じたのではなく,たしかに陥没によってつくられたと結論されています.
Simkin T. and Howard K. A. (1970) Caldera collapse in the Galapagos
Islands, 1968. Science, 169 (3944), 429-437.
早川由紀夫
2000.7.10.0920