読売新聞2000.9.10社会面に掲載された以下の記事を批判します.(9.10.1750)

緑字が読売新聞記事です.全文です.みだしは,前橋に配達された版から書き写しました.

早川由紀夫@群馬大学教育学部


三宅島「安全宣言」から一転「全島避難」

予知連“迷走の夏”

火砕流想定外「観測機器は無力だった」

 「我々のメッセージを重要視してほしい」。火山噴火予知連絡会の投げかけたこの
ひと言から、東京・三宅島の全島避難が動き出した。終息に向かうはずだった噴火活動
が、想定外の火砕流を伴う大噴火に発展していたからだ。全島避難につながる予知連の
会合ではどんな議論があったのか。なぜ見解は大転換したのか。今もすさまじい噴煙を

「なぜ見解は大転換したのか」と書く気持ちの背後に,20世紀科学への過信がみえます.20世紀科学は,火山噴火の推移を正確に言い当てるほど進んでいません.火山に予想外の動きがあったとき,それを素直に認めて,国の責任機関が気安く新しい事態に対処しやすい環境をつくってあげることを,私はこの国のジャーナリズムに求めたい.


上げ続ける三宅島。自信たっぷりの「安全宣言」から二か月、予知連の“迷走の夏”を
追った。(三宅島噴火取材班)

 「これほど低温の火山灰を、火砕流と呼んでいいのか」
 予知連の「見解」に「火砕流」の言葉を盛り込む案に、東大助手の大島治が激しく
抗議した。地質学が専門の大島にとって、温度が三十度程度の火山灰を火砕流と呼ぶこ
とは地質学の定義を揺るがせるに等しかった。

火砕流の定義に温度は入っていません.ですから,あの現象を火砕流と呼ぶことによって地質学の定義が揺らぐことはありません.あの現象を呼ぶのに火砕流よりもっとふさわしい語が提示されてはじめて,この議論が成り立ちます.打ち壊しだけするのは,好ましことではありません.


 だが、メンバーのほとんどが「予知」に自信を失っていた。「地震計も、地殻変動
観測機器も、噴火予知には無力だった」。会議の中でそう“敗北”を認めた会長の井田
喜明(東大教授)は、結論を出した。「これでいきましょう。火砕流というと、雲仙(
普賢(ふげん)岳)のイメージがあるが、説明すれば誤解は避けられるんじゃないか」

自信を失っていたから,火砕流の採用をいやいや認めたように読めますが,これは事実とずいぶん異なる説明だと思われます.


 慎重派で知られる気象庁長官の山本孝二が驚いて、「これでいいんですね」と何度
も井田に念を押した。

気象庁長官の山本孝二にたいして慎重派との評を,わたしはここで初めて聞きました.


 ■議論8時間
 八時間近くにも及んだこの会合が始まったのは八月三十一日午後二時。場所は気象
庁八階の管区気象台会議室だった。三宅島の火山活動が始まって以来、十八回目を数え
た予知連伊豆部会。予知連メンバーのほか、国や都の防災関係者ら計四十五人が「ロ」
形のテーブルに着席していた。冒頭のあいさつで伊豆部会長の渡辺秀文(東大教授)は、
「防災措置につながるような危険性をはっきり言えるように、見解を出そう」と切り
出した。
 予知連の見解はその言葉通りにまとまった。「強い火砕流が起きる可能性もある」
――。記者会見場へ向かう井田たちをしり目に、山本は慌てて都と連絡をとった。「危
険度が一ランク上になった」。都知事の石原慎太郎が、全島避難を決意し、スケジュー
ルを決めたのはその翌日だった。

いえ,石原都知事は,31日のうちに決心したと,インタビューに答えました(いま引用を見失って,できません.ごめんなさい.).9.01.1145から始まった会議のわずか15分後に「呼びかけ」が公開された事実は,そのことを裏付けてると思います.前の日から決心していなければ,15分ではできなかったでしょう.


 「山頂付近での噴火はないと考えます」(六月二十八日)、「安全宣言と受け取っ
てもらって結構です」(同二十九日)。
 六月二十六日に三宅島の火山活動が始まった後、井田がそう会見するのを聞いて、
予知連のメンバーの一人は、「おやっ」と思った。六月二十九日の会議でも、「山頂部
での警戒は続けるべきだ」との議論があり、メンバーの間に「安全宣言」の意識はなか
ったからだ。

6.28.1720伊豆部会コメントに,「 なお、島の東部及び山頂付近での噴火の可能性はないと考えている。 」と明記されています.ですから,「「山頂部での警戒は続けるべきだ」との議論があり」とその日の会議途中の話をここで持ち出すのは不適当です.

なおゼロリスクはありませんから,「ない」と完全否定した伊豆部会コメントを私は支持しません.


 井田には「マグマの動きをとらえた」という自信があった。しかし、二日後には神
津島で震度6弱の地震に見舞われ、七月八日には、「ない」はずの三宅島の雄山(おや
ま)山頂で噴火が起きた。

7.5.1830に出された火山観測情報70号で,「山頂部では噴気の増加や場合によっては火山灰の放出があるかもしれません。山頂付近では注意が必要ですが、山麓に影響を及ぼすことはないと考えられます。」と注意喚起がなされた事実をここで言わなかったのは,不公平だったと思います.

その後も伊豆諸島で強い地震が相次ぎ、島の人たちに不安が
広がった。そんな状況でも、予知連は一向に「火山活動は終息に向かう」との見解を変
えず、安全宣言の撤回もなかった。

たしかに,安全宣言の撤回まで時間がかかりすぎたとわたしも考えます.


 ■修正へ苦悩
 八月十日に一か月ぶりの噴火があった。十八日には成層圏まで噴煙が上がり、噴石
をほぼ島の全域に降らせた。「終息に向かうならば、なぜ噴火の規模がだんだん大きく
なっていくのか」という疑問が生じた。
 しかし、予知連として、「終息へ」というシナリオの修正は容易ではなかった。井
田は「それがつまずきの始まりだった」と振り返る。もう少し簡単にいくのではないか。
そう思ったため、議論は平行線をたどったまま先に進めなくなった。
 同月二十九日には、メンバーのだれもが予期しなかった火砕流を伴う噴火が起きた。

ここでいうメンバーが特定されていませんが,10日にも18日にも火砕流が発生していたことを29日の前にかなりの数の専門家が知っていました.そのうちの何人かが,気象庁に請われて29日以前に伊豆部会に出席した事実があります.ですから,「メンバーのだれもが予期しなかった火砕流」と言うのは,正確を欠いています.


渡辺は言う。
 「噴石が人家まで飛ぶようになるには二、三十分の余裕があり、噴煙が上がってす
ぐ家やシェルターの中に入れば防げる。だが火砕流はそうはいかない。これは困った、
と思った」

40センチの大岩が飛来しても,家の中にいれば助かるのですか?それはおそろしく甘い考えです.


 ■科学の限界
 火砕流の発生を受けて開かれた三十一日の会合後、井田は「あらかじめ警告できな
い可能性が高いかもしれない」と、今後の予知の限界を明かした。「防災関係者は、我
々のメッセージを重要視してほしい」とも発言し、周囲を驚かせた。
 「予知連はあくまでも科学的な立場から見解を出すのが仕事」と、これまでは行政
に口出しするのを慎重に避けてきた井田の異例の発言。全島避難を考えてほしいとのメ
ッセージを込めたぎりぎりの言い回し、と受け取れた。
 全島避難は、火山活動をとらえ、危険を予知してのものではなかった。最新の計測
機器でもとらえ切れない自然の脅威を前に、科学の限界を露呈したあげくの“結末”だ
った。(敬称略)

いいえ,危険があるから全島避難がおこなわれたのです.時間単位ではないが,日あるいは週単位での危険察知を20世紀科学によってなした結果です.「限界を露呈したあげく」などと,悪い言葉を浴びせないでほしい.科学者は,不十分ながらも最善を尽くしているのですから.新聞人こそ,もっと勉強してほしい.情報を正しく伝達してほしい.片手間でやらないでほしい.