早川由紀夫研究室 2000.6.29.0755設置 |三宅島|富士山|浅間山|磐梯山|岩手山|有珠山|
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朝日ニュースターCSテレビ「説明責任」
「1年,2年,3年.悪ければ10年.」 Windows Media | Real Player(2分39秒) |
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避難指示解除。4年5ヶ月ぶり。
阿古中学校に臨時役場開設。
0746小規模な噴火 火山観測情報668は、2002年11月24日以来と伝えた。
3月28日噴火、カルデラ縁で微弱な降灰(気象庁)。
10.28統一見解(火山噴火予知連絡会=気象庁),記者会見(さくまなう)
新聞社の不遜 「全島避難が三年を超えるなんて、誰も夢にも思っていなかった。 (東京新聞9.03)」 ひとつの新聞社がそのように思うことは自由だが,だからといってこの世の全員がそう思っていたと断定するのは誤りである.不遜な誤りである.この断定が誤りであることは,上を見ればすぐわかる.
三宅島を出た今回の避難が3年に達する可能性が高いことは,そのとき,十分な知識によって確からしく予想された.予想されただけでなく,すみやかに情報伝達された.発信された情報がなぜ受け止められなかったか,その理由をいま考えなければならない.
3000年ぶりの噴火って本当だろうか? 今回の三宅島の噴火は3000年ぶり(あるいは2500年ぶり)だとみることが定説です.私自身もそのようにこれまで何度も言ってきました.しかし2週間前から私は,この見方を疑っています.3000年前に生じたカルデラが,津久井さんが言うように八丁平カルデラなら,今回の噴火はたしかに3000年ぶりですが,一色さんが言うように桑の木平カルデラなら,今回の噴火はおよそ500年ぶりだということになる.もしそうなら3000年前以降,三宅島は今回規模のカルデラ陥没を数回繰り返したのかもしれない.今回の噴火はたいしてめずらしい地学現象ではないことになる.
3000年前に噴出した火山物質がどれであるかはたいへんよくわかっています.しかし,そのとき地表にできた火山地形がどれであるかは,上記2説あって,いまもってどちらであるかはっきりしません.
テレビ報道にみる三宅島2000年噴火危機 −火山専門家・行政官・ジャーナリストの発言,そして住民の声−
地方自治体と報道機関に支持されない2000年8月の気象庁対応
3月11日に国民宿舎「レインボー桜島」で開かれた「火山防災情報ワークショップ in 桜島」で読まれた論文の内容がpdfで公開されています.たいへん興味深い論文ばかりですが,きょうは,まず目に付いた
> 15:55-16:20
> 林 豊(気象庁火山課)・山里 平(同)・新井伸夫(日本気象協会)
> 火山情報の高度化に向けて−ユーザの視点による火山情報の問題点
についてだけ,コメントします.
49ページに,2000年8月の三宅島噴火の気象庁による防災対応について,地方自治体と報道機関にアンケートした結果がまとめられています(表6a,b).これをみると,私は,2000年8月三宅島噴火への気象庁による防災対応とその考え方に重大な誤りがあったことが立証されたと感じます.
・事後あるいは夜間のときは,混乱を避けるため,緊急火山情報を出さない.
・火山情報は,そのタイトルでなく内容で評価される.
当時こう強弁した気象庁の考え方は,地方自治体からも報道機関からも支持されないものであると,このアンケート結果は語っています.しかし本文中で,著者らは,そして気象庁は,みずからに誤りがあったとは認めていません.反省していない.
本文中で著者らが強調した質問Gは「(緊急火山情報を出さなかった)今回の処置は結果的によかった」かどうかを聞いています.この質問へ,(いまの)私は,もちろん「そう思う」と答えます.だって,誰も死ななかった結果をすでに得ているのですから.しかし結果を知る前は,とうてい賛成できない考え方でした.結果を知ったあとと,結果が出る前に確率的リスクによって意思決定しなければならないときとでは,答えが正反対になりうる.あのときは,まさしくそうだった.前段からの状況説明を含めて,「結果的によかった」かを聞いているこの質問Gは,特定の結果に導くことを明確に意図して置かれた質問だと評価できる.
(4.15文章推敲)
訃報 2000年噴火時,三宅島唯一の新聞店主だったさだぞうこと渡辺義宗さん(41)が,16日胃がんのため亡くなりました.ご冥福をお祈りします.通夜は本日18時から,葬儀は明日13時から,どちらも北海道函館市内で行われます.
島には帰らないかもしれない
赤木一之(2001年4月より品川区でビストロおきみくら)「(今後島に帰られることになったら,どうされますか?の質問に答えて)シーズンだけ三宅で営業するかもわかりませんし,こちらでひとり雇って,土日とか暇なときにこっちに私が来るとか」
桧山洋子(2001年1月より大田区でビューティーサロン・イスラ)「こういう避難というかたちがなければ,都会に出てこれなかったと思うんですね.だから,こっちにきたときに,ある意味チャンスかなと思って」
東京サイト(テレビ朝日2.14.1650からの3分番組)での発言
この番組のスポンサーは東京都である.月曜日から5日間連続で三宅島が放送された.きのう木曜日までの内容は,東京都がこれまで三宅島避難者に対して施してきたさまざまな対応策と,三宅の復興にかける意気込みを伝えるPR色が強かった.しかしきょうの内容は少し違った.全島避難から2年5ヶ月たったいま,島へはもう戻らないかもしれないと語る二人へのインタビューを,東京都スポンサーの番組が流したところに注目した.
三宅村教育委員会の教育目標と基本方針
三宅村復興計画策定委員会答申(2002.12.12)に次のようにあります.
> 4 教育のこと
> 子どもは三宅島の将来を担う大事な「宝」である。しかし、秋川
> の小学校では三宅島の子どもだけの学級はなくなった.このままで
> は、中学校でも、三宅島の子どもだけの学級がなくなる可能性があ
> る。島外で暮らしていても、三宅島のことを誇りにし、三宅島の将
> 来を真剣に考える子どもたちが、一人でも多く帰島することに島の
> 将来はかかっている。そのため、「互いの人格を尊重し、思いやり
> と規範意識のある村民」、「全国の人々からの支援に対する感謝の心
> を持つとともに積極的に社会に貢献しようとする村民」、「常に前向
> きに考え、逆境の中にあっても自らの個性と想像力を伸長しようと
> する意欲を持つ村民」という『三宅村教育委員会の教育目標』及び
> 「人権尊重の精神」と「社会貢献の精神」の育成、「豊かな個性」
> と「想像力」の伸長、秋川での特性を活かした学校経営の推進と村
> 民の学習機会の確保といった『三宅村教育委員会の基本方針』を前
> 提に、教育施策を積極的に推進していく。」
「三宅島のことを誇りにし、三宅島の将来を真剣に考える子どもたちが、一人でも多く帰島することに島の将来はかかっている」とする現状認識は,まったく正しい.
しかし,それを実現するための努力を,上に掲げられた『三宅村教育委員会の教育目標』と『三宅村教育委員会の基本方針』の考えに基づいてなすのであれば,失敗することが火を見るより明らかである.
2000年夏以降,秋川でなにがなされたかを振り返ってみれば,わかる.たとえば,
・児童生徒に寮生活を強要して通学を認めなかった.
・(無料の)災害特設電話を職員室で使用して,児童生徒には(有料の)緑電話を使わせた.
どちらも,子どもたちのためになされたことだとは,いいがたい.
これらについて,教育委員会はみずからに非であったと認めていない.だから,これからも同じことが繰り返されるはずだ.
三宅村教育委員会の教育目標が,
1)互いの人格を尊重し,思いやりと規範意識のある村民
2)全国の人々からの支援に対する感謝の心を持つとともに積極的に社会に貢献しようとする村民
3)常に前向きに考え,逆境の中にあっても自らの個性と想像力を伸長しようとする意欲を持つ村民
だと知ると,三宅村のいまの逆境がなぜ生じたか,わかるような気がする.
三宅村を復興したいのなら,協調性と現状肯定を目指したこの教育目標を,独創性と批判力を養うことを目的とした新しい教育目標にすっかり書き換える必要がある.そして,子どもたちを利用した復興計画ではなく,将来を担う子どもたちのための復興計画にする必要がある.
なお悔い改めるべきは教育委員会だけでない.避難当初,当面の利益を求めて集団で子捨てをおこなった親たちも同様である.
三宅村を復興したいのなら,その前に,教育委員会と親たちが一定のけじめをつけることが必要である.過去をうやむやにしたまま水に流すと,また同じ失敗を繰り返す.
リンク消え(訂正) 東京都トップページから三宅島へのリンクは消えてないと,読者の方からご指摘をいただきました.たしかに右下にリンクボタンがありました.私の誤りでした.お詫びして訂正します.東京都トップページから三宅島へのリンクは,まだあります.
リンク消え きのう9.30をもって,気象庁トップページから三宅島へのリンクが消えました.東京都トップページから三宅島へのリンクが消えたのはいつだったかな?
- この避難では,実はどこに何人収容するかなど詳細な計画ははかった.「とにかく危険地区から住民を避難させることを考えた」と,安危室の関審議官は言葉少なに語る.「そのために手厚い避難手段を用意した.もし無駄になっても,批判は甘んじて受けるつもりだった」.ヒト,モノを大胆に投入した強引なまでの総動員計画に,国の威信をかけた決意がのぞいた.(『2000年有珠山噴火』,北海道新聞社編,122ページ)
- 井門課長:まあ,それはやっぱりそうなったちゃったらあれですね,東京都が甘んじて非難をうけるということだと思うんですよね.2000.8.30
公団住宅からは,追い出すという.都営住宅の延長は,ほんとうに永遠に続くのだろうか?
三宅島に行って来ました 2000年6月の異常発生以来,ヘリコプターで上空までは行ったことがありましたが,初めて上陸してみてきました.三宅島2002年5月21日.
合同大会で発表します 今月末,東京代々木で開かれる地球惑星科学関連学会2002年合同大会で,火山危機における情報規制とパニック神話を発表します.29日午後の セッション「地震予知:社会は何を望み我々は何ができるか?」の中で話します.昨年11.06と今年1.15にここに書いた内容をもとにして再構成しました.
- 助役「日曜日の自由行動は,バードウオッチング・ジョギングは許されている.桟橋でのつりは現地災害対策本部と協議する」
- 谷議員「自由行動が許されていると,いま初めて聞きました」
帰島実現 郵便物の取り扱いが3月11日からすでに始まっていたことを知りました.4月1日から始まった定期的日帰り帰宅船もみれば,三宅島への帰島はすでに叶ったとみるのが妥当でしょう.ただ一般住民はまだひとりも島での生活を始めていないようです.島での小中学校の再開は,まだまだ先のことなのであろうか?その時期は,三宅島の意向をたずねることなく,ひとが自分の都合優先で決めようとしているようだ.
中学生もまもなくゼロに この4月1日に,三宅村から小学生がひとりもいなくなりました.3年後には中学生もいなくなると,私は1月9日に書きました.しかし,どうやら中学生がいなくなるのはもっと早くなるようです.秋川三宅学校在籍児童生徒数の時間変化に示したように,中学生はもう24人しかいません.3月に16人いた三宅島小学6年生のうち,三宅島中学に進学したのはわずか4人だった.さらに1年生12人のうち4人が,また2年生21人のうち9人が,転校して三宅島中学を去った.学校全体の生徒数24は,1年前の小学校児童数27より少ない.三宅村教育委員会は,来年度も中学校を維持するにはたいへん困難な状況に追い込まれた.
NHKニュース3.05.2222へのコメント NHKが,3月5日の「ニュース10」の中で22:22から8分間に渡って放送した三宅島プログラム「なぜ高濃度 三宅島の火山ガス」の中に,たいへん気になる発言が含まれていることを,いま録画テープを入手して見て,気づきました.
プログラム後半で,辻村和人記者(社会部)が次のように話しました.
1)「火山の専門家は,地下のマグマの中の火山ガスの成分は,現状で7割から8割はすでに放出されているとみている」
2)「火山噴火予知連絡会の井田喜明会長は,住民の帰島を検討できるレベルまで下がるのに一年程度はかかるのではないかという見方を示しています」
1)へコメントします.「7割から8割」を言った火山専門家を私は知りません.ご存知の方は教えてください.このようなクリティカルな発言は,きちんと実名を出して引用すべきです.実名が出せないのなら,言及すべきでありません.まだ1割程度しか出ていないと解釈できる学説を公表している火山専門家なら,私は知っています.
2)へコメントします.2月1日の予知連記者会見で井田会長がこれに関して語ったのは,次です.
だから別の言い方をすると、それを先の予測にまで言えるかどうかは難しくて、何かが変わってしまう可能性が非常にあるわけですけれども、いまだいたい1、2万トンあって、まあ数千トンくらいに下がってほしいってな感じのことを思うと、それは3分の1くらいは下がらなきゃいけなくて、まだ1年くらい、いまのままでいったとすると、まだ1年くらい経たないと数千トンとかいう、わりといろんなことを考える時点にならないかなと。(さくまなうから引用)
この発言を2)のように要約するのは,正確性をはなはだしく欠いています.1年たてば帰島を検討できるくらいの濃度まで下がると保証してしまっている.井田さんは,この結論を下す前に明確な条件句「いまのままでいったとすると」をつけている.辻村記者は,それを省略してしまった.条件句を省略する必要があったのなら,「早くて一年」と言うべきだった.
避難生活を続けるこどもたち 〜三宅村立小学校に学ぶ〜 という12ページからなるレポートがさくまなうにあります.2001年4月に,三宅村立小学校(秋川)に赴任した教諭が書いた.義援金・物資・労力・連れ出し企画のいずれかを問わず,「秋川」を援助したひとは全員がこれを読んで,自分が何に加担したのかをよく理解すべきだ.三宅の子どもたちのこころには,どうやっても消すことができない深い傷がついてしまった.その傷をつけたのは,援助したあなただ.(ここは三宅島1265)
青山副知事講演の全文テキスト(2002年1月11日,日本学術会議大講堂)がウェブで公開されています.
Yomiuri Weeklyが,このページの12.20記述を(暗示)引用しました.